KASOUKEN  一般社団法人  火 葬 研
 ASSOCIATION OF RESEARCH INITIATIVES FOR CREMATION,FUNERAL AND CEMETERY STUDIES
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 火葬研
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  発想の扉

  文化・歴史

  火葬場

  墓 地

  施 設
   
 
 トリビア‐文化・歴史

  伝統の炎のパワー          文化・歴史(葬送)/日本

河原に炎が立ちのぼる。
年の始めに行われる多摩川のどんど焼きを目の当たりにした。
高さ20mにもなる大きな炎は、圧倒的な迫力で神秘的。
川辺の火葬や暴れ川の治水神事を想起したのは私ぐらいかなと思いつつ。
大きなパワーを考えた。燃やすことでエネルギーを得ることを繰り返してきた人類はエネルギー政策の転換期に差し掛かり、解決の糸口がみえていない。
縁起物や神物を持ち寄って燃やし、新年の厄払いを祈る日本の伝統行事。
ここに集まった人たちは、大火の醸し出す神聖な雰囲気に清められ、思い思いのエネルギーを蓄えたのではないだろうか。
受け継がれる昔ながらの炎が、日常に活力を与えてくれているような気がした。


2019.04 葬送デザイン部会 N



  大切に保管される埋葬と火葬の記録
                  
文化・歴史(葬送)/イギリス

ロンドン市営墓地・火葬場(The City of London Cemetery and Crematorium)は1856年の墓地開設以降、一流の埋葬場所を提供してきており、ヨーロッパで最大の都市墓地の一つである。市との関係や宗教的、文化的信条に関わらず、誰もがここに埋葬が可能となっている。イギリスとウェールズの公園と緑地の国家基準で権威ある、グリーンフラッグ賞を受賞した最初の墓地でもあり、火葬場は1904年に創業を開始している。

創業から数えて約50万体の埋葬と約25万体の火葬が行われている。すべての記録がストロングルームと呼ばれる写真の部屋に残されており、閲覧が可能となっている。先祖の記録を辿りに来る人もいるが、電子化されていないため、検索が大変である。閲覧がしやすいように、記録のデジタル化を予定しているという。
ストロングルームとは、この墓地・火葬場で最もセキュリティレベルの高い重要な場所という意味合いが込められている。重厚な大辞典のような記録書からもその雰囲気が醸し出されていた。


2019.04 葬送デザイン部会 N



  これが歴史あるイギリスの火葬場  文化・歴史(葬送)/イギリス

イギリスの火葬場とはどんなイメージをもたれるだろうか?昔の火葬場ですよと説明され、この写真が腑に落ちる方は少ないかもしれない。建造物を大切にする欧州らしく、きれいに保たれたレンガ造りの建物は、火葬需要の高まりと地理的必要性から、1902年にロンドン郊外に建設されたゴルダーズ・グリーン火葬場です。創業以来、2017年9月18日現在で337,143体の火葬を行っている。南に広がる芝生と建物の対比が美しく、静かな環境を現在も提供している。
建物はグレードUの歴史的建造物に指定されているため、公害防止装置の増設など建物改造が難しく、クリーンな都市ガスを燃料としても現在の厳しい公害防止基準を満たしていない。ロンドン火葬会社が運営する6ヵ所の火葬場全体で基準をクリアーし、特別に運営が認められている。

イギリスの火葬の歴史を感じることのできる火葬場である。


2019.04 葬送デザイン部会 N



  イギリス火葬協会の大いなる活動  文化・歴史(葬送)/イギリス

イギリス火葬協会(The Cremation Society of Great Britain)は1874年に創立されて以来、火葬の普及と社会貢献を活動理念に掲げ、葬儀オンブズマン制度を活用し情報公開の促進、火葬を推奨する活動などを着実に続けている。関連会社のロンドン火葬会社が火葬場の運営も行っている。
死者の処理方法として、合理的で、安全で、威厳のある火葬が行える施設が、より簡単な規制で建設できるよう、協会は火葬推奨に懸念を抱く政府機関に対して働きかけてきた。火葬の法令的な整備を進めるにあたり、協会として火葬証明の方式を確立する責任があったが、それは1902年の最初の火葬法の基礎として後に採択された。
現在のイギリスの火葬率(約75%)の高まりは、火葬協会の功績として称えられている。

このように権威あるイギリスの火葬協会代表と日本の火葬研究代表との記念すべき海外交流のワンショットを目の当たりにするミラクルツアーがあるのです。


2019.04 葬送デザイン部会 N



  街の歴史も学べる墓地見学コース
                  
文化・歴史(葬送)/スペイン

モンジュイック墓地には、バルセロナの歴史的人物のお墓も多いようです。まるでゴシック建築の教会のような芸術的なお墓も見ることが出来ます。家族が眠っていなくても墓地を訪れる人が多いため、墓地を巡るツアーが用意されています。3種類のコースが用意され、芸術的なコース、歴史的なコースと、芸術的なものと歴史的なものを組み合わせた複合コースとなっています。毎月第2第4月曜日の11時から墓地巡りのツアーあるようで、子供たちの学習の場にもなっていると聞きました。

歴史が積み重なった墓地は、単なる墓の集合体ではなく、歴史や芸術を学ぶ重要な文化遺産であるともいえましょう。


2019.04 葬送デザイン部会 S



  自ら設計した聖堂に眠るガウディ  文化・歴史(葬送)/スペイン

ガウディを知らない人はいないかもしれませんが、自ら設計したサグラダ・ファミリアという教会の地下にお墓があることはあまり知られていないでしょう。私は勝手に本人としては建築家冥利に尽きると思っていますが、彼は幸せな人生を送ってきたのでしょうか。
彼は貧しい家庭に生まれたようです。母が家財を売り払って学費を用意し、美術学校、建築学校を卒業して、建築家の称号を手にしました。当初は本人も豊かな生活を夢見ての行動だったようですが、パトロンであったグエル侯爵が失脚してからは、敬虔なカトリック教徒であることもありサグラダ・ファミリアの現場に住み込みながら設計に没頭していったようです。ご存知のように、ご誕生の門が出来上がったところで、電車に引かれこの世を去り、今に至っています。

サグラダ・ファミリアは2026年には完成予定ということで、壮大な教会の建物自体が、彼の墓標となり永遠の存在となることに深い感慨を覚えます。


2019.04 葬送デザイン部会 S



  葬儀社の看板が無い葬儀式場    文化・歴史(葬送)/フランス

葬儀社の経営には許可が必要である。地方の自治体が管理を行い、許可番号があり、7〜8年で更新となっている。
フランスでは、法律で5日以内に葬儀を行わないといけないと決められている。亡くなってからだいたい3日後に葬儀が行われる。特別な理由で、葬儀を伸ばす場合は、市の許可が必要である。病院でも自宅でも亡くなると、24時間以内に霊安室に預けなければならないと決められており、それを過ぎると必ずエンバーミングをしなければならないことになっている。

エックス・レ・バンにある葬儀社に併設された葬儀式場には、葬儀社の名前が一切無い。どこの葬儀社でも使えるようになっている。それが設置許可の条件となっていた。葬儀式場の利用率も上がるため、メリットがあるのかも。


2019.04 葬送デザイン部会 T



  病院の横に並ぶ葬儀社       文化・歴史(葬送)/フランス

フランス・パリの病院近くの通りに、大手葬儀社、市営葬儀社、個人葬儀社など、違うタイプの葬儀社が軒を連ねる。
亡くなる人を待っているのではと、一見不謹慎といった感じもしないわけではないが、事前相談により葬儀社を決めるため、病院の見舞い帰りにも家族が相談に訪れるという。葬儀社は関連する法律の説明が義務図けられているため、家族が訪れても法律の説明が大変なので、隣の葬儀社を紹介することもあるという。
お客が取られる心配は無いのかに対する質問に対して、提供する葬儀サービスの内容が異なるので、関係ないということであった。現在ではオープンな競争市場になっているが、自治体や民間企業がお互いに利益を共有し、時には競合しながら現在のフランスの葬儀市場が成立っている。


2019.04 葬送デザイン部会 T



  謎が多い不思議な遺跡ストーンヘンジ
                  
文化・歴史(葬送)/イギリス

ストーンヘンジ(Stonehenge)は、イギリス南部ウィルトシャーのソールズベリーにある巨石記念物の環状列石遺構である。平原に現われる巨石群のストーンヘンジは、誰が何のために造ったのかは未だ謎のままである。
外側に直径 100mほどの堀があり、その内側に石柱列が四重に環状にめぐらされている。中央には巨石が馬蹄形に立っており、その中心にテーブル状の祭壇石が置かれている。前3000年〜前1520年の間に 6回にわたってつくり上げられたと推測される。中にある土坑からは火葬人骨が出土している。1986年エーブベリー遺跡とともに世界遺産の文化遺産に登録された。
近くに行くとその大きさに圧倒される。この巨石をどこから、どのようにして誰が運んだのか。クレーンのない時代にどのようにして、積み上げたのか、不思議な遺跡であった。


2019.04 葬送デザイン部会 T



  街の中の都市公園として残る歴史ある墓地
                  
文化・歴史(葬送)/イギリス

レイコックは、イギリスのコッツウォルズ地方の南に位置し、村全域がナショナル・トラストに管理されている。古くは王室の狩猟場近くの宿泊地であったが、13世紀にレイコック寺院が建てられてから16世紀までは、修道女たちの祈りの場となった。中世には切妻屋根と木組みの家々が建てられ、その街並みが今も残る。18世紀以降に建てられた建物が一つもなく、奇跡的に保存されている歴史的景観から、映画やドラマのロケ地としても使われ、映画『ハリー・ポッターと賢者の石』の撮影も行なわれた。
その歴史ある街並みの中で、自動車だけは現代のものであるが、もう一つ現代を感じられる場所がある。中心の教会の墓地は埋葬場所がいっぱいであるため、街の外れにつくられた墓地である。埋葬されたばかりの墓石は新しく、唯一現代が感じられる雰囲気となっている。


2019.04 葬送デザイン部会 T



  街の中の都市公園として残る歴史ある墓地
                  
文化・歴史(葬送)/イギリス

ロンドンのキングズ・クロス駅に近いセント・ジョージ・ガーデンは、2つの教区に奉仕するための埋葬地として1713年に設立された、教会から離れて設立された最初の埋葬地の一つであった。
荒廃した埋葬地を、地元の人々は1994年にセント・ジョージズ・ガーデンズフレンズを結成し、修復作業を求めていく。遺産宝くじ基金のアーバンパークプログラムに入札し、この基金により2001年には修復作業を終えた。現在、庭園内には墓石が残り、歴史を伝えつつ都市空間の中の静かな憩いの場となっている。

新たな埋葬が行われないため、収入も無く維持管理費用の問題や敷地の有効利用から閉鎖の危機も何回かあったが、地元住民(フレンズ)が資金調達するなどの支援もあり、この歴史ある埋葬地は生き延びている。フレンズはこの埋葬地の歴史を伝え、庭園を残す方法を常に模索している。


2019.04 葬送デザイン部会 T



  近親者が運転する霊柩車       文化・歴史(葬送)/東京

島内に葬儀社が無い。そのため霊柩車は村が所有している。霊柩車はワンボックスの車を改造したもので、近親者が運転して火葬場まで柩を運ぶようになっている。島外で亡くなった場合、大型船で柩が運ばれる。港に到着すると、近親者が霊柩車で迎えに行き、自宅まで運ばれる。8割くらいが島で火葬を行う。夏場は本土で火葬を行った後に、遺骨を船で島へ運ぶこともある。
火葬の手続きの際、葬儀の進行をまとめた用紙を役所で配布している。用意するものなどの注意事項も書かれている。葬儀の流れは、亡くなるとその日に仮通夜が行われ、翌日に火葬、通夜となる。3日目に葬儀が行われ、葬儀が終わるとお寺まで葬列を組み遺骨を運び、埋葬(納骨)が行われる。

島への愛着は強い。同級生の会があり、その関係は亡くなるまで続き、葬儀も手伝われる。近所のつながりが強く、孤独死は無く、遺族がいなくても後見人の方が葬儀を行ってくれる。


2019.04 葬送デザイン部会 T



  消えゆく寺院風デザインの火葬場   文化・歴史(火葬)/東京

日本での葬儀はほとんどが仏式の形態で行われている。
明治の火葬再開直後の火葬場は火葬炉に上屋をかけた程度のもので、そこで告別と収骨を行なっており、シンプルなものであった。しかし、葬送慣習から、儀式性を持つ空間が求められ、仏教寺院風のデザインへと変化していった。昭和初期になると火葬率の上昇とともに各地で公営火葬場が建設され、寺院風火葬場は定型化して全国的に流布した。そのため、次第に寺院風デザインに高い煙突もつ建物が火葬場のイメージとして定着するようになった。

日本国憲法に「信教の自由、国の宗教活動の禁止」と謳われ、公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益若しくは維持のため使用してはならないことから、公共が主となった火葬場は次第に仏教色が消されることになる。木造の寺院風デザインの火葬場は、昭和23年(1948)の写真の火葬場が最後となった。


2019.04 葬送デザイン部会 T



  聖なる川ガンガーでの沐浴と火葬   文化・歴史(火葬)/インド

インド・バナラシのガンガーの岸辺には約60のガートが連なる。
ガートとは場所を意味する。乾季と雨季の水位を考慮した階段状の広場となっており、一生に一度はここに巡礼したいと願った人々が早朝に真向かいの東から昇る太陽に向かって礼拝し、祈り、ガート近くで沐浴する。そうすることによって、今まで犯してきた罪は洗い清められ、功徳を積んで死後は天国に行けると信じられている。早朝から沐浴する人、聖水を汲む人、物売り等で溢れている。

この街には多くの遺体が集まってくる。この街で火葬されれば必ず天界にいけると信じているからである。輪廻に輪から抜け出さない限り魂の平安は未来永劫に訪れない。バナラシは生きることの苦しみから抜けださせてくれる救いの場所となっている。亡くなった人の魂は、ここでの火葬とガンガーを通じて天界へと送り届けられることになる。


葬送デザイン部会 T



  消えゆく野焼き場         文化・歴史(火葬)/日本・新潟

新潟県は江戸時代から火葬が盛んだった地域である。それは野焼き場の多さに表れており、庶民の間にも一般的に火葬が行われていたことが伺える。
新潟県旧西蒲原郡では、野焼き場は「葬礼場(そうれば)」などと呼ばれ、大字ごとに1ヵ所以上設置されていた。大半が集落の共有地につくられ、共同管理が行われていた。

この地方では、火葬場は忌み嫌う施設と扱うのではなく、小さな集落の単位で身近に火葬場を持ち、葬儀と火葬が地域コミュニティの一つとなっていた。
昭和30年代になると、新生活改善運動のさなか、地域の葬送習慣が変わり、野辺の送りの廃止とともに、野焼き場での火葬が行われなくなった。野焼き場は現在もそのままになっているものもみられるが、墓地に姿を変えたり、ゲートボール場となっているところもみられる。

役目を終え、わずかに痕跡が残る野焼き場も姿を消すことになろう。


葬送デザイン部会 T



  火葬の普及には大きな差があった    文化・歴史(火葬)/日本

現在、日本の火葬率は99.99%とほとんどが火葬である。世界的にみても断トツの高さである。

日本では700年の僧道昭の火葬を、日本における火葬のはじまりとし(これより古い時代の火葬墓も発見されている)、702年の持統天皇の火葬など、上流階級から火葬が一般にも広まっていった。
しかし、全国的に満遍なく広まっていったわけではなく、普及の度合いには地域性がみられる。

1915年(大正4年)に始めての全国統計が行われているが、火葬率が60%を超えていたのは、北海道、東京都、新潟県、富山県、石川県、福井県、大阪府、広島県のみで、その中でも、富山県と石川県はほほ100%であった。


葬送デザイン部会 T



  墓地それとも火葬場?       文化・歴史(火葬)/日本・大阪

火葬場を「かそうば」という人もいれば、「かそうじょう」という人もいる。
法律上は「かそうば」であるが、「かそうじょう」だと近代的なイメージがするという。さらに、イメージの悪さから、施設名を「○○火葬場」とせず、「○○斎場」「○○聖苑」「○○苑」などとするケースが多くみられる。中には「メモリアルトネ」などカタカタの名称の火葬場もみられる。

大阪府和泉市にある火葬場の名称は「いずみ霊園」である。案内板をみると、お墓に来てしまったかと思うが、れっきとした火葬場である。しかしここにはお墓は無い。
関西では墓地の中に火葬場があるケースが多い。特に、共同墓地の中の小さな火葬場の名前は「○○墓地火葬場」といったネーミングであった。火葬場でありながら「○○墓所」といった名前もあった。

明治初期の火葬再開後に、火葬場に焼骨を埋めてはならないといった通達が出され、江戸時代まで一体だった火葬場と墓地が分かれることになる。東日本では火葬場は墓地と分離しているが、関西では相変わらず墓地の一角に火葬場が造られた。その名残なのかもしれない。


葬送デザイン部会 T



  墓地の中の霊柩馬車ミュージアム  文化・歴史(葬送)/スペイン

スペイン・バルセロナのモンジュイック墓地内には霊柩馬車ミュージアムがあります。
主に20世紀初頭に使われた馬車の他に、霊柩車(自動車)や、世界各国の葬送に関する書物も保存されていました。
バルセロナの歴史を辿る墓地ツアーも開催されています。

霊柩馬車は当時、市街地内にあった墓地が郊外に移転するに従い、柩や遺族の移動の手段として発展していったそうです。

ウイーンを始め、葬儀博物館なるものがある国も多く、日本にも葬送の歴史や文化を後世に伝える施設が必要だと感じました。


葬送デザイン部会 S



  天国への手紙           文化・歴史(葬送)/日本・栃木

《宇都宮市 悠久の丘ホームページより》

火葬場とは、単に遺体を焼くところ?
その通りですが、それだけではありません。もっと深い存在です。
火葬してしまえば、実体としての体はなくなってしましますから、そういった意味では、お別れを告げことができる最後の大事な場所となります。

  大好きだったおじいちゃん、おばあちゃんとのお別れ
  家族とのお別れ
  友人とのお別れ

火葬場には、参列者それぞれ、故人とのかかわりの中で、生前伝えられなかった思いを心に秘め、悲嘆の表情とともに来場されます。
宇都宮市の「悠久の丘」という火葬場のホームページには「天国への手紙」というコンテンツを掲載しています。これは、ここで火葬された故人に向けて手紙を用意すると、それを後に火葬することで、天国の故人に届けてくれるというサービスです。差出人に許可を得た手紙は、公開されていますので、ご興味のある方は「宇都宮市 悠久の丘」ホームページを開いてみてください。火葬場とはこういうところなんだと、文章で説明する以上に実感することでしょう。

「宇都宮市 悠久の丘」URL http://www.u-yukyunooka.jp


葬送デザイン部会 S



  花で飾られたガラス張りの霊柩車  文化・歴史(葬送)/シンガポール

このガラス張りの車はなんと霊柩車です。

シンガポールの華僑の人々はガラス張りの霊柩車で遺体を搬送し、車のナンバープレート部分に遺影を飾り、柩の周りは鮮やかな花で装飾されます。
柩が到着するとブラスバンドの演奏が始まり、賑やかにお別れの儀式が始まります。
先祖故人を尊重する華僑の人々の死生観を端的に体現しており、葬送行為が人種や宗教・遺族の考え方によって多様であることを、1台の霊柩車から改めて感じさせられます。

多民族国家であるがゆえに垣間見ることのできるワンシーンでした。


葬送デザイン部会 K



  ヒンドゥーな葬祭業者のくるま   文化・歴史(葬送)/シンガポール

シンガポール国営のマンダイ火葬場で発見した葬祭業者の車両です。

シンガポールは多民族国家ですが、この車両は間違いなくヒンドゥー教の葬祭業者であると一目瞭然です。日本の場合、死を慎ましやかに扱う傾向が強いため、これほどアピール感の強い葬祭業者の車両はまず見かけませんが、死を取り巻く葬祭業者のラッピング車両からも、宗教による死生観の違いを垣間見た気がします。


         
葬送デザイン部会 K



  土葬どうすんの?         文化・歴史(葬送)/シンガポール

シンガポールの国民の約15%はイスラム教徒ですが、イスラム教は宗教上の理由により土葬を行います。

シンガポールで唯一土葬可能なチョアチュウカン墓地では埋葬期間を15年と決めており、15年後に掘り起こして改葬(火葬)し、納骨堂に納められます。火葬を禁止している宗教では、掘り起こした遺体を小さな区画に再埋葬します。土葬費用は15年間で1,150ドルの定借を交わすそうです。土葬は面積も必要なことから、限られた国土と墓地面積の節約のための国策です。

なお土葬の方法ですが、柩を横にして埋葬するのではなく、麻袋に納められた遺体を縦(垂直)に埋葬するとのことで、省スペースな埋葬方法に徹しています。


葬送デザイン部会 K



  墓地より開発優先!?       文化・歴史(葬送)/シンガポール

写真の建物はシンガポールの高島屋です。実は高島屋が建つ前、この土地には墓地がありました。

シンガポールは限られた国土のため、土地の有効利用のために開発が優先され、経済発展の波が墓地を侵食する状況が起こります。
シンガポールにはブキ・ブラウン墓地という華人墓地があります。広さ233ha、10万基の広大な墓地には歴史的に価値のある墓も存在していますが、この墓地は今まさに失われつつあります。

ブキ・ブラウン墓地は2030年までに高速道路や宅地になる計画で、現在も墓地を撤去開発する工事が進められています。


葬送デザイン部会 K




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